千観さんのお話

 愛宕念仏寺 中興開山 千観さんのお話

千観さんは十世紀の人。伝教大師の時代から百年後の方です。

今の京都の四条の西院から東山方面にかけてを、昔は愛宕郡と言いました。
奈良時代の末のこと、聖武天皇の娘の称徳天皇がここに寺を建てます。
愛宕(おたぎ)の地に建てられたので愛宕寺と言いました。
ところが平安時代の初めに、鴨川の洪水で全て流れて廃寺となってしまいます。
その復興を命じられたのが天台宗の僧 千観です。
千観さんは、いつも念仏を唱えていたので、民衆から念仏聖人とよばれ、
このことから寺名を愛宕念仏寺とよばれるようになりました。
千観さんの両親は、何とか子供がほしいということで、毎日清水寺にお参りをしていました。
そして母親が、観音さんから蓮華の花を頂く夢を見て子供が授かりました。
両親は非常に喜んで、千手観音にあやかり、千と観の二字をもらって千観丸と名付けます。
早くから比叡山の僧侶となって苦行し、御所に出入りできる内供職(ないぐ)になりました。
内供職というのは、御所の中のいろいろな行事ごとを司る役目で、平安時代の中で
十内供といい十人の内供がいました。伝教大師や弘法大師も内供職です。
そのなかの一人に千観さんも選ばれて、御所の中の法要ごとを行っておられました。

ある日、千観さんは御所から帰る途中で、四条河原の土手で、民衆に法話をしている
お坊さんの姿を見つけます。それは空也上人でした。それを見た千観さんは牛車から降りて
僧のところへ行き、日ごろから悩んでいた " 自分はこれからどのように生きていくべきか " 
ということをその僧に尋ねます。
すると空也上人は「何事も身を捨ててこそ」と、ただ一言を言われて去ってしまわれます。
千観さんはそこで「はっ!」と悟って、その場で衣を脱いで供の者を寺に帰し、その足で
裸一貫、修行のやり直しの旅へと出てしまったのです。

ある年、雨がなかなか降らず干ばつが続きました。これを心配した天皇が千観に祈祷をして
もらうようにと命を出し、御所の人たちが千観さんを探しまわりました。
その時千観さんは、一人箕面の龍神滝で修行をしておりました。この天皇のご意向を知った
千観さんは、早速その場でご祈祷を始め、そして見事に雨を降らせたということです。

大衆の苦しむ姿を見ては、身を捨ててその救済にあたりました。川では船頭となり、山崩れ
があったというと馬方をやり、旅の人を安全に送り届ける等、奉仕活動に身を尽くしました。
また各地で神社やお寺を建てていきますが、最後は高槻の成合山の山頂に金龍寺という寺
を建てて、そこで生涯を終えることとなります。

トップへ
戻る